私の母が亡くなったのは、1994年1月。私が29歳の時のことでした。
母は私に愚痴こそこぼしていましたが、すぎやんのことについては、何もかも全て自分一人で背負い込みました。
「あんたはお父ちゃんのこと、何もしなくていい。何もするな」と、母から手出しを一切禁じられ、すぎやんとも数年間全く会いませんでした。
そんな私が母の死で、「父の介護」に突然向かい合うことになりました。
何をどうしていいのか、ほとんどわからないままのスタート。
すぎやんとどう接していいのかも、最初は全くわからなかったのです。
それまですぎやんは、とある病院に年単位でお世話になっていました。
しかし医療制度が徐々に変化し、同じ病院での長期入院は不可能になり始めました。
すぎやんは、定期的に様々な病院に転院するという生活を、長く続けました。
そして、介護保険制度が発足。
すぎやんは常時入院している必要はないと、病院から退院を迫られました。
運良く入所できた介護老人保健施設で1年を過ごした後、終の住まいとなった有料老人ホームにすぎやんが入居したのが、2003年5月。
「今度はいつ移動だろうか」という不安な思いから解放され、すぎやんも私もようやく腰を落ち着かせることができました。
そして新しい暮らしに慣れた頃には、暴れん坊将軍すぎやんは施設内での有名人にのし上がっていました。
だけど、すぎやんのことを怖がる人はいたけれど、嫌う人がそんなにいない。
なぜだろう。
すぎやんって、本当にどうしようもない人だけど、実はものすごく人間くさい人なのかもしれない。
そう感じた私が、すぎやんのおもしろい言動を書きとめ、「今週のすぎやん」というタイトルでホームページに文章を綴り始めたのは、すぎやんが老人ホームに入居して1年が過ぎた、2004年8月のことでした。
その1年後にログごとブログに移行させ、ブログ「今週のすぎやん」がスタートしました。
ホームページの時代を含めると、「今週のすぎやん」の連載期間は約4年半。
更新が滞ることも多々あり、1年ほどブランクが空いた時期もありました。
だけど、すぎやんの記録をやめることは決してしませんでした。
ここまで続けられたのは、ひとえにすぎやんのパワーのおかげです。
本日をもって、「今週のすぎやん」の更新は、終了させていただきます。
ブログ自体は、少なくともすぎやんの一周忌までは残す予定です。
とことん自分を貫き、頑張り抜き、まっすぐに生き抜いたすぎやんに会いたくなったら、いつでもここにお戻り下さい。
戻って来られた時にお読みいただきやすいよう、記事を整理しました。
今までは記事を更新した日ごとに並んでいましたが、実際に私がすぎやんに会った日ごとにまとめました。
この記事のひとつ前の記事「これまでのすぎやん」に、年・月ごとにまとめてあります。また、画面右の「月ごとのすぎやん」も活用していただけると思います。
お時間のある時にでも、順番にお読みいただければと願っています。
すぎやんに関することは、今後は「ひーのためごと」という私のブログで、随時書いていく予定です。
よろしければ、遊びにお越しくださいね。
「今週のすぎやん」をお読み下さった皆さん、本当にありがとうございました。
最後に。
「有料老人ホーム アミーユ茨木東奈良」の全スタッフの皆さん。
長い間、お世話になりました。
すぎやんの暮らせる場所があったからこそ、皆さんがすぎやんの居場所を作って下さったからこそ、私はすぎやんと距離感を保ち、きちんと最後まで向き合うことができたのだと思います。
自宅での介護だったら、私は自滅していたと思います。
お世話になった約6年間は、親子同士として、人間同士として、一番濃密な関係をすぎやんと築けた期間でした。
おかげで、子供の頃にはわからなかった、すぎやんの心の奥底を、少しだけ垣間見ることもできました。また、亡き母を含めた私たち親子3人が、最後までなぜ「家族」になれなかったのか、その理由にも気付かされました。
最後の最後までお気遣いいただき、本当にありがとうございました。
特に。
すぎやんが自分の息子のようにかわいがっていた、施設長さん。
すぎやんの臨終をみとってくれて、ありがとう。
すぎやんは、確かにあなたの到着を待っていました。あなたにみとってもらえてよかった、最期を見届けてもらえてよかったと、今、心から思っています。
本当に、本当に、ありがとう。
すぎやんが自分の娘のようにかわいがっていた、つねちゃん。
陰に日向に、すぎやんにたくさんのやさしさをありがとう。通夜の際の心遣い、私は一生忘れません。
本当に、本当に、ありがとう。
2009年5月10日
ひー(すぎやんの一人娘)
母は私に愚痴こそこぼしていましたが、すぎやんのことについては、何もかも全て自分一人で背負い込みました。
「あんたはお父ちゃんのこと、何もしなくていい。何もするな」と、母から手出しを一切禁じられ、すぎやんとも数年間全く会いませんでした。
そんな私が母の死で、「父の介護」に突然向かい合うことになりました。
何をどうしていいのか、ほとんどわからないままのスタート。
すぎやんとどう接していいのかも、最初は全くわからなかったのです。
それまですぎやんは、とある病院に年単位でお世話になっていました。
しかし医療制度が徐々に変化し、同じ病院での長期入院は不可能になり始めました。
すぎやんは、定期的に様々な病院に転院するという生活を、長く続けました。
そして、介護保険制度が発足。
すぎやんは常時入院している必要はないと、病院から退院を迫られました。
運良く入所できた介護老人保健施設で1年を過ごした後、終の住まいとなった有料老人ホームにすぎやんが入居したのが、2003年5月。
「今度はいつ移動だろうか」という不安な思いから解放され、すぎやんも私もようやく腰を落ち着かせることができました。
そして新しい暮らしに慣れた頃には、暴れん坊将軍すぎやんは施設内での有名人にのし上がっていました。
だけど、すぎやんのことを怖がる人はいたけれど、嫌う人がそんなにいない。
なぜだろう。
すぎやんって、本当にどうしようもない人だけど、実はものすごく人間くさい人なのかもしれない。
そう感じた私が、すぎやんのおもしろい言動を書きとめ、「今週のすぎやん」というタイトルでホームページに文章を綴り始めたのは、すぎやんが老人ホームに入居して1年が過ぎた、2004年8月のことでした。
その1年後にログごとブログに移行させ、ブログ「今週のすぎやん」がスタートしました。
ホームページの時代を含めると、「今週のすぎやん」の連載期間は約4年半。
更新が滞ることも多々あり、1年ほどブランクが空いた時期もありました。
だけど、すぎやんの記録をやめることは決してしませんでした。
ここまで続けられたのは、ひとえにすぎやんのパワーのおかげです。
本日をもって、「今週のすぎやん」の更新は、終了させていただきます。
ブログ自体は、少なくともすぎやんの一周忌までは残す予定です。
とことん自分を貫き、頑張り抜き、まっすぐに生き抜いたすぎやんに会いたくなったら、いつでもここにお戻り下さい。
戻って来られた時にお読みいただきやすいよう、記事を整理しました。
今までは記事を更新した日ごとに並んでいましたが、実際に私がすぎやんに会った日ごとにまとめました。
この記事のひとつ前の記事「これまでのすぎやん」に、年・月ごとにまとめてあります。また、画面右の「月ごとのすぎやん」も活用していただけると思います。
お時間のある時にでも、順番にお読みいただければと願っています。
すぎやんに関することは、今後は「ひーのためごと」という私のブログで、随時書いていく予定です。
よろしければ、遊びにお越しくださいね。
「今週のすぎやん」をお読み下さった皆さん、本当にありがとうございました。
最後に。
「有料老人ホーム アミーユ茨木東奈良」の全スタッフの皆さん。
長い間、お世話になりました。
すぎやんの暮らせる場所があったからこそ、皆さんがすぎやんの居場所を作って下さったからこそ、私はすぎやんと距離感を保ち、きちんと最後まで向き合うことができたのだと思います。
自宅での介護だったら、私は自滅していたと思います。
お世話になった約6年間は、親子同士として、人間同士として、一番濃密な関係をすぎやんと築けた期間でした。
おかげで、子供の頃にはわからなかった、すぎやんの心の奥底を、少しだけ垣間見ることもできました。また、亡き母を含めた私たち親子3人が、最後までなぜ「家族」になれなかったのか、その理由にも気付かされました。
最後の最後までお気遣いいただき、本当にありがとうございました。
特に。
すぎやんが自分の息子のようにかわいがっていた、施設長さん。
すぎやんの臨終をみとってくれて、ありがとう。
すぎやんは、確かにあなたの到着を待っていました。あなたにみとってもらえてよかった、最期を見届けてもらえてよかったと、今、心から思っています。
本当に、本当に、ありがとう。
すぎやんが自分の娘のようにかわいがっていた、つねちゃん。
陰に日向に、すぎやんにたくさんのやさしさをありがとう。通夜の際の心遣い、私は一生忘れません。
本当に、本当に、ありがとう。
2009年5月10日
ひー(すぎやんの一人娘)
JUGEMテーマ:それでも続く日々……の中で。


















![水戸黄門 第一部 シリーズ BOX [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/5138BNVNASL._SL160_.jpg)


